診断から職場復帰まで、「普通に戻る」ことへの焦り
乳がんの告知を受けたのは、40歳の誕生日を迎えてすぐのことでした。「まさか自分が」という言葉は、ドラマの中だけのものだと思っていたけれど、私はその言葉をそのまま口にしていました。
手術と抗がん剤治療を経て、寛解の診断が出たのは翌年の春。職場の人たちは温かく迎えてくれました。「おかえり」「元気そうで良かった」——そう言ってもらえるたびに、笑顔で「ありがとう」と返しながら、心の中でどこかがズレていくような感覚がありました。
治療が終わったことと、元の自分に戻ることは、全く別のことだったのです。
「みんなが期待する『治った私』を演じているうちに、本当の自分の気持ちがどこに行ったのか、わからなくなっていました」
誰にも言えなかった「揺り戻し」の感情
疲れやすくなった体、抜け落ちた後に生えてきた髪の質感の変化、定期検診前夜の眠れない夜——治療が終わってからも、日々の小さな「がん後遺症」とでも言うべき変化は続いていました。
周囲は「もう大丈夫でしょ」という空気を醸し出していて、私もそれに合わせて振る舞っていました。でも心の中は全然大丈夫じゃなかった。誰に話せばいいのかわからない、話したとしても「大変だったね」で終わってしまう。そういう対話の虚しさが積み重なっていきました。
仕事のミスも増えました。「集中できない」「物忘れが多くなった」——これが抗がん剤による認知機能への影響(ケモブレイン)だと知ったのは、ずっと後になってからのことです。
治療後に感じる集中力・記憶力の低下
抗がん剤治療後に、思考力や記憶力、集中力などが低下する現象は医学的にも報告されており、「ケモブレイン」「化学療法関連認知機能障害」と呼ばれます。個人差があり、数ヶ月で改善する方もいれば、数年続く場合もあります。
偶然見つけた、同じ経験を持つ人たちとの場所
ある日、同僚に誘われて参加したオンラインのがんサバイバー交流会が、転機になりました。画面の向こうに映っていたのは、同じように「治療が終わった後の生きづらさ」を抱えた人たちでした。
「検診前になると眠れなくなる」「仕事で前みたいにできないと落ち込む」「家族に心配かけたくなくて、元気なふりをしてしまう」——一人一人の言葉が、まるで自分の声を代わりに読み上げてくれているようで、気づいたら泣いていました。
「孤独じゃなかった」という感覚が、そこに初めてありました。
「治療中より、治療が終わってからのほうが、精神的に辛い時期があると、あの場で初めて言葉にできました」
IROHAで「次の選択肢」を整理できた
IROHAと出会ったのは、そのサバイバー交流会のメンバーから教えてもらったのがきっかけでした。「治療後のサポートについて相談できる場所がある」と聞いて、半信半疑でアクセスしたのを覚えています。
AIナビに状況を話していくうちに、「再発予防の観点から統合医療を検討する」「心理的サポートの専門家につながる」「同じ経験を持つコミュニティに参加する」という3つの選択肢が整理されていきました。どれも「こうするべき」という押しつけではなく、「こういう選択肢がある」という提示の仕方で。
そのニュートラルさが、ひどく傷ついていた私には、ありがたかった。
今、私が伝えたいこと
治療が終わったら「卒業」ではないと、今の私は思っています。むしろ治療後の生活こそ、丁寧に設計していく必要がある段階なのかもしれない。
仕事への復帰も、少しずつペースを調整しながら続けています。完璧にこなせない日もあるけれど、「今日の自分」をそのまま認めることができるようになってきました。
同じように「治療が終わったのに、なぜかつらい」と感じている方がいたら、一人で抱え込まないでほしい。それは弱さではなく、体と心が正直に反応しているだけだと、私は思います。