乳がんの手術で片胸を失ったとき、岩田由紀さん——通称「ふくちゃん」が最も苦しんだのは、病気そのものへの恐怖だけではありませんでした。「これから胸を失ったまま生きていく」。その現実は、女性としての自分まで失ったように感じさせたといいます。
しかし、苦しさを家族に見せまいと頑張り続けたある日、ご主人からかけられた一言が、ふくちゃんの生き方を大きく変えます。
「胸を失ったからって、お前はお前のままだろ」
その言葉に救われた経験から、ふくちゃんは今、乳がん経験者のための片胸専用ブラ「i-ARU.」を届けながら、「胸が一つでも、自分らしく、おしゃれを楽しんでいい」と発信しています。今回は、発症前の生活、告知と治療、家族との時間、片胸専用ブラ誕生の背景、そしてPINK STAR AWARDで伝えたい思いまで、ふくちゃんの歩みを伺いました。
- 岩田由紀さん(ふくちゃん)/乳がん経験者・片胸専用ブラ「i-ARU.」企画・販売
- 2021年に乳がんが見つかり、左乳房の全摘手術と抗がん剤治療を経験
- 胸を失ったことで抱いた葛藤と、ご主人の言葉に救われた経験から、片胸専用ブラ「i-ARU.」を開発
- 現在は商品販売に加え、乳がん経験者が自分を責めず自分らしく生活できる社会を目指して発信を継続中
- Instagram:@masajirow.dd
発症前——「自分はがんにならない」と思っていた
乳がんが見つかる前のふくちゃんは、家で仕事をしながら家庭を支える、ごく普通の主婦でした。健康には自信があり、ジムにも通い、食べることが好きで子どもの栄養を考えて食事の品数も多くしていたといいます。血のつながった家族にがん患者が一人もいなかったこともあり、自分ががんになるとは考えていませんでした。病院が苦手で、主婦になってからは会社員のように健康診断を受ける機会も減り、定期的な検診からも遠ざかっていました。
そんなふくちゃんに人間ドックを受けさせたのは、ご主人でした。会社から家族にも健康診断を受けるよう案内があり、半ば強引に予約したといいます。
「主人が『お前も行け』と予約してくれたので、嫌々ながら一緒に受けました。そこで胸の異常を指摘され、再検査の通知が来ました。それでも『いつか行けばいい』と思っていたのですが、病院から直接『すぐに来てください』と電話があったんです。」
詳しい検査の結果、悪性と判明。2021年、ふくちゃんの日常は突然、乳がん治療と向き合う日々へと変わりました。
発見・告知——がんよりも「胸を失うこと」が怖かった
当初示されたのは、ステージ2Aの可能性でした。しかし、転院後に手術を受け、病理検査でリンパ節への転移が確認され、最終的にはステージ3Aと診断されています。それでも、告知を受けた時点では大きく取り乱さなかったといいます。
「以前、看護学校に通っていた時期があり、30年ほど前から『がんはいずれ治る病気になる』と聞いていました。だから、がんそのものについては『治せばいい』と考えていました。むしろ主人の方がショックを受けていたので、私がしっかりしなければと思いました。」
ふくちゃんが頭が真っ白になるほどの衝撃を受けたのは、転院先で乳房の全摘が必要だと告げられたときでした。最初の病院では、乳房を切除すると同時に自分の組織で乳房を再建する「同時再建」の可能性を聞いていましたが、転院先では、がんの性質などから再建は難しいと説明されたといいます。
「がんになっても、私は生きていくつもりでした。だからこそ、『これから胸を失って生きていくんだ』と言われたことの方がショックでした。それまで自分の中で描いていた治療計画が、一気に崩れたように感じました。」
治療の意思決定——自分の命だから、自分で納得して決めたい
乳がんは一つではない
ふくちゃんの乳がんは「小葉がん」と呼ばれるタイプでした。しこりが一か所にまとまるのではなく、乳房内に広がるように発生することがあるため、部分切除ではなく全摘が必要だと説明されたといいます。
「乳がんと一言で言っても、種類や性質は人によって異なります。私も自分がなるまでは、乳がんにいくつものタイプがあることを知りませんでした。胸を残したいと医師には伝えました。でも、私の場合は全部を取らなければがんを取り切ることが難しいと説明され、全摘を受け入れざるを得ませんでした。」
さらに、当初は「乳房を全摘すれば抗がん剤はしなくてもよい可能性がある」と説明されていましたが、手術後にリンパ節への転移が判明し、抗がん剤治療も受けることになりました。胸を残したい、抗がん剤も避けたい——その両方を願いながら、限られた情報と時間の中で選択しなければならなかったといいます。
医師と話し合い、治療方法を変更
抗がん剤治療では、EC療法の後にパクリタキセルを使用。EC療法では強い吐き気などはなかったものの、その後の治療では、白血球の減少を抑えるための薬との組み合わせにより、全身に激しい痛みが出たといいます。
「足先から痛みが走り、動けないほどの状態が数日続きました。2回目で『もう続けられません』と医師に伝え、一度治療を中断しました。」
その後、医師と何度も話し合い、投与方法やスケジュールを変更して治療を再開しています。
「私は、医師の言う通りにするのではなく、自分の命だからこそ、説明を受けて納得した上で決めたいと思っていました」とふくちゃんは振り返ります。副作用や治療への反応は一人ひとり異なるからこそ、「この治療が正しい・間違っている」という話ではなく、患者と医療者が対話し、納得できる方法を一緒に探すことの大切さを、ご自身の体験として語っています。
治療中の生活——家族を心配させないよう、元気な自分を演じていた
治療中、ふくちゃんは家族に心配をかけまいと、つらさを見せずに過ごしていました。当時、娘さんは大学受験の時期。家族の生活を守るため、「元気な自分」でいようとしたといいます。しかし、胸を失った悲しみは消えていませんでした。
「本当は泣きたいほどつらいのに、家族には悟られないようにしていました。ある日、普段通りに過ごしている家族を見て、『私はこんなにつらいのに、どうして分かってくれないの』と気持ちが爆発してしまったんです。」
そのとき、ご主人は驚いた表情で、「胸を失ったからって、お前はお前のままだろ」と答えました。その一言が、ふくちゃんの心をほどいたといいます。
「『胸を失って、女性として駄目になった』と思い込んでいたのは、自分自身だったんだと気づきました。私には他にも良いところがある。女性らしさは胸だけではない。そう思わせてもらえたんです。」
乳がんの発見につながった人間ドックを予約したのも、心の転機となる言葉をかけたのも、ご主人でした。病気になる前は喧嘩も多かったと笑うふくちゃんですが、当事者とは違う視点で自分を見てくれた存在への感謝を語っています。
転機——「救われた分、今度は誰かを救いたい」
ご主人の言葉をきっかけに、ふくちゃんは自分と同じように、胸を失ったことで女性としての自信まで失っている人がいるのではないかと考えるようになります。
「胸を失ったことで、『女性らしさを失った』と落ち込んでいる人は、きっとたくさんいる。私は言葉に救われたから、今度は自分が誰かに『あなたはあなたのままだよ』と伝えたいと思いました。」
しかし、社会には今も「女性には胸が二つあるのが当たり前」という無意識の前提があります。ふくちゃん自身も、周囲から心ない言葉をかけられたことがあったといいます。「胸をなくして、ご主人がかわいそう」と言われたとき、「私は誰かのための存在ではない」と強く感じたそうです。
「胸が一つになったからといって、人として欠けたわけではありません。治療を頑張って生きているのに、どうして劣等感を抱かなければならないのでしょうか。」
伝えようと思った理由——片胸であることを、誇りに変えたい
ふくちゃんが伝えたいのは、無理に前向きになることでも、つらさを我慢することでもありません。大切なのは、自分を「欠けた存在」と決めつけないことだといいます。
「乳がんになっても、片胸になっても、あなたはあなたです。胸を失った自分を恥じるのではなく、治療を頑張ってきた自分として、いつか誇りに思ってほしい。」
もちろん、同じ言葉ですべての人がすぐに立ち直れるわけではありません。それでも、孤独の中にいる人へ届く言葉を増やすことで、心が動くきっかけをつくりたいと考えています。
商品誕生——「片胸のまま」も「パッドを入れる」も選べるブラ
ふくちゃん自身は、現在パッドを使わず、片胸のまま生活しています。その経験から生まれたのが、片胸専用ブラ「i-ARU.」です。
「私たちにとって、手術後に片胸であることは日常です。それなのに、胸が二つある人の『当たり前』に合わせなければならないことで、苦しくなる人がいます。パッドを使うことが悪いのではありません。胸の形を整えたい日もあれば、パッドを使わず自然に過ごしたい日もある。その日の気持ちに合わせて、自分で選べることが大切だと思っています。」
「i-ARU.」ブラック/モカピンクの2色展開(公式オンラインショップより)
「i-ARU.」は、片胸のままでも着用でき、必要に応じてパッドを入れることもできる設計です。ふくちゃんが目指しているのは、パッドを「隠すために必ず必要なもの」から、アクセサリーのように「使いたいときに選ぶもの」へ変えていくことだといいます。
「リボンや付け襟を選ぶように、今日はパッドを使おう、今日は使わずに出かけようと自由に選べたらいい。片胸のままでも、周囲の視線を気にせず、どこへでも出かけられる社会にしたいんです。」
このブラは、単に身体を補う商品ではなく、「胸が一つでも、おしゃれを諦めなくていい」「選ぶのは自分でいい」という価値観を形にしたものだといいます。公式サイトでは、全摘側はワイヤーのないやわらかいサイドボーンで手術痕に配慮し、乳房が残る側は通常より短めのショートワイヤーで肌当たりを抑えた設計であることが紹介されています。
- i-ARUブラ(ブラック/モカピンク):¥9,900(税込)
- i-ARU.ブラ Setショーツ:¥2,200(税込)
- オリジナルパッド:¥1,100(税込)
- 試着セット(左側・右側全摘出別):¥1,200(税込・送料込み/到着から7日以内に返却)
- がん治療による外見変化への「アピアランスケア助成金制度」の対象になる場合があります(対応可否は自治体により異なります)
価格・仕様・助成金制度の対象条件は変更される可能性があります。ご購入・お問い合わせの前に、必ず公式サイトの最新情報をご確認ください。
現在の活動——治療後の「生活」に必要な選択肢を届ける
乳がんは、治療が終わればすべてが元通りになるわけではありません。手術後の身体、下着、服装、仕事、人間関係、外出、気持ちの揺れなど、その後の生活には多くの悩みが残ります。
「病院では治療を受けられます。でも、私たちが生きていく上では、その後の生活がとても大切です。退院した後に必要な情報や、同じ経験をした人の知恵につながれる場所が必要だと思っています。」
現在、ふくちゃんはSNSを通じて、自身の経験、片胸で暮らす中で感じたこと、商品に込めた思いなどを発信しています。活動の目的は、商品を一方的に勧めることではなく、片胸のまま生活する選択、パッドを使う選択、再建を考える選択——それぞれの人が自分に合う方法を知り、納得して決められるようにすることだといいます。
「私のブラが必要なければ、それはそれでいいんです。ただ、こういう考え方や選択肢があることを知ってほしい。知らなければ選べないから、まずは知るきっかけになれたらと思っています。」
PINK STAR AWARD出場——声を上げられない誰かへ届けたい
なぜ出場を決めたのか
PINK STAR AWARDへの出場は、乳がん経験者の活動を支える石岡江見子さんとの出会いから始まりました。石岡さん自身も乳がんを経験し、告知後に家へ閉じこもった時期があったといいます。「同じように一人で苦しむ人を減らしたい」という思いに、ふくちゃんは共感したそうです。
「乳がんになっても、SNSで発信できない人、周囲に相談できない人、患者会にも参加できない人はたくさんいると思います。どこかのタイミングで私たちの声が届いて、『一人ではない』『前を向いて生きてもいい』と感じてもらえたら。そのために出場を決めました。」
ステージで伝えたいこと
「片胸になったことを恥じないでほしい。治療を頑張った自分として、いつか誇りに思ってほしい。」
当事者だけに変化を求めるのではなく、社会の側にある「女性はこうあるべき」という固定観念を変えたいとふくちゃんは話します。
「私たちは特別でも、かわいそうでもありません。片胸で生きることも、その人にとっての普通です。私たちが周囲に気を使い、隠れながら生きなくてもいい社会にしたい。それを伝えたいです。」
未来——命に限りがあると知ったから、楽しく、自分らしく生きる
ふくちゃんは、現在乳がんではない人にも伝えたいことがあるといいます。
「私も家族にがん経験者がいなかったので、『自分はならない』と思っていました。でも、がんは誰にとっても無関係ではありません。『まさか』は、誰にでも起こり得ます。怖いから検診を受けないのではなく、早く見つけることで治療の負担や身体への影響を小さくできる可能性があります。」
また、がんと告げられてから治療が始まるまでには、十分に考える余裕がない場合があるといいます。
「告知を受けると、知識がないまま治療のスケジュールが次々に決まり、ベルトコンベアに乗ったように進んでいくことがあります。だから、がんになってから情報を探すだけでなく、なる前から基本的な知識を持ってほしい。」
最後に、今いちばん大切にしていることを尋ねると、ふくちゃんは迷わず答えました。
「楽しく生きたいです。普通に暮らしていると、命がずっと続くように感じてしまいます。でも、がんになったことで、命には限りがあると改めて気づきました。それまで家族や社会のことを背負って生きてきたけれど、これからはもう少し自分のためにも生きたいと思っています。」
乳がんになったことを「なぜ私が」と問い続けるのではなく、「この経験があったから、今の活動につながった」と意味づける。そうすることで、病気の経験を後悔だけで終わらせず、生きる力へ変えていきたいと語ります。
「私が乳がんになったのは、この活動をするためだったと思えたら、乳がんになったことを後悔しないでいられる。胸が一つでも、おしゃれを楽しみ、自分を愛し、楽しく生きていけることを伝えていきたいです。」
IROHAから読者へのメッセージ
このインタビューで繰り返し語られたのは、片胸専用ブラという商品だけではありませんでした。胸が一つになっても、その人の価値は変わらない。治療の方法も、その後の暮らし方も、一つの正解に合わせる必要はない。必要な情報を知り、自分が大切にしたいものを見つめ、自分で選ぶことが、後悔を減らす力になる——ふくちゃんのブラは、その思想を日常の中で支える一つの選択肢です。
「お前はお前のままだろ」——かつてふくちゃんを救った言葉は、今、彼女の発信と商品を通して、同じように悩む誰かへ手渡されようとしています。IROHAは、特定の治療法や商品を推奨・保証する立場ではなく、PINK STAR AWARDの主催・共催団体でもありません。ふくちゃんの活動を特集として紹介し、応援しています。
治療の選択肢だけでなく、仕事との両立や気持ちの揺れ、術後の暮らし方まで含めて、納得できる形で情報を整理できるよう支援することがIROHAの目的です。一人で抱え込まず、まずは情報を集めることから始めてみてください。
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体験談から病状の理解、そして相談へ。3つのステップでつながります。