福井県でヨガスタジオ「Living space Atha.」を営む髙橋 絵麻さん。34歳のとき、次女を出産して3か月後に右乳がん(ステージ3)と診断されました。治療を続けながら「しこり触ってキャンペーン」や「生きるを伝える写真展」を立ち上げ、がん教育の講演で全国を回ってきました。そして診断から10年がたった2025年5月、肝臓への転移が見つかります。
「不安になるのは当たり前だし、怖いもつらいも逃げたいも、一緒に抱きしめるから。手を取り合って、進んでいきましょう」
「マイナスも楽しむ、わたしを生きる」を掲げ、治療と向き合いながら発信を続ける髙橋さん。2026年11月、ランウェイ「SPOTLIGHT」にCHALLENGER #6として出場する髙橋さんに、これまでの歩みと、今伝えたいことを伺いました。
- 髙橋 絵麻さん/ヨガインストラクター・講演家。福井県でヨガスタジオ「Living space Atha.」を経営。2人の娘の母
- 2015年、34歳で右乳がん(ステージ3)と診断。ホルモン受容体陽性のタイプで、術前の抗がん剤治療、手術、放射線治療、ホルモン療法などを受ける
- 2025年5月、肝臓への多発転移が判明。現在は飲み薬による治療を続けている
- 「しこり触ってキャンペーン」「生きるを伝える写真展」を立ち上げ、がん教育・命の授業の講演を全国で行う
- 2026年11月13日、ランウェイ「SPOTLIGHT」に出場(CHALLENGER #6)
発見——臨月に感じた、胸の違和感
最初に「何かおかしい」と感じたのは、次女を妊娠していた臨月のころでした。右の胸がチクチクして、腫れている感じがあったといいます。
長女のときは大きな病院で出産しましたが、2人目は通いやすい近所の産院を選んでいました。ベテランの産科医にエコーで診てもらうと、「乳腺炎と乳がんの区別がつきません」と言われたそうです。
「先生も私を安心させようとしてくれたんだと思うんですけど、『あまり聞いたことがないから大丈夫でしょう』と言ってくださって。私はそれを、自分が選択したって表現しているんですけど、それを信じて、産むまで様子を見ました」
出産すると、右の胸から血の混じった母乳が出たり出なかったりするようになりました。それでも、産後すぐに検査を受けるという発想はなく、34歳で検診に行く世代でもない。夫の家族と同居するなかで、働いていないのは自分だけという状況もあり、受診を後回しにしてしまったといいます。
3か月健診のときに、粘って紹介状を書いてもらい、大きな病院で検査を受けました。告げられたのは、「お母さん、残念です」という言葉でした。
妊娠中・授乳中に気づく乳房の変化
- 妊娠中や授乳中は乳房が張ったり、乳腺炎になったりしやすく、しこりなどの変化に気づいても「そのせい」と考えて受診が遅れることがあります
- しこりが続く、血の混じった分泌物が出る、皮膚がへこむなどの変化があるときは、妊娠中・授乳中であっても、乳腺外科などで相談しましょう。妊娠中・授乳中でも受けられる検査があります
- 若い世代の乳がんは、検診の対象年齢に入る前に見つかることも少なくありません。ふだんから自分の乳房の状態を知り、変化に気づいたら早めに受診することが大切です
くわしくは「「検診」と「気になる症状」は別もの。乳房の変化に気づいたら」をご覧ください。
告知——腕の中には、産まれたばかりの赤ちゃん
がん家系ではなく、毎日のように体を動かし、子どものころのアトピー性皮膚炎をきっかけに食事にも気をつけていた。ヨガのインストラクターとして、体の知識もそれなりにあった。だからこそ、「まさか私が」と驚いたといいます。
「最初はテレビのイメージから入っちゃうじゃないですか。髪の毛が抜けて、がんになると死んでしまうみたいな。でも私の腕の中には、産みたての赤ちゃんがいる。いやいやいや、これは、って」
そんな髙橋さんの支えになったのが、同居していた義理のお母さんの存在でした。45歳で乳がんを発症し、ステージ4になってからも10年以上、22年にわたって治療を続けた人でした(5年前に他界)。
「いやいや、お母さんは今も生きてるし、仕事もしてる。治療法はあるはずだって。もうやることをやるしかないなって、腹をくくった部分もありました。それでも、『お母さん、残念です』と言われて、見える世界がガラッと変わって、グレーになってしまったんですけど」
診察室を出たあと、寄り添ってくれた看護師さんに「お母さん、大丈夫?」と背中をトントンされて、涙があふれたといいます。けれど、家に帰れば子どもたちはまだ小さく、家族も心配している。泣くに泣けない日々でした。
髙橋さんは14歳のころに不登校を経験し、その後も長く、心の不調と向き合ってきました。「こんな大きなことを、私は乗り越えられるんだろうか」。子どものために頑張ろうとする気持ちと、不安定になる心。そのバランスをとることが、一番大変だったといいます。
公表と「しこり触ってキャンペーン」
11年前の福井では、がんになったことをまだ人に言いにくい空気があったといいます。けれど、治療が始まれば髪は抜け、ウィッグで子どもを迎えに行けば髪型が変わっている。自分からオープンにしなければ、周りも触れていいのかわからない——。
「『下の子、もう5歳だね』『小学生だね』って、相手は何の悪気もないんです。でも私の頭の中では、『見られるのかな』が始まっちゃう。その言葉を、自分でナイフに変えちゃってるんですけど。じゃあねって別れたあとも、涙が止まらないんです」
近しい人にだけ打ち明けることが、友人のあいだに差をつけているようにも感じられた髙橋さんは、公表することを決めます。ただ、つらさを伝えるだけでは、聞いた人も困ってしまう。そう考えて選んだのが、啓発活動という形でした。
「お母さんって、自分のことをすごく後回しにする人たちなんですよね。子どものこと、家族のこと、仕事のことに一生懸命で、病院にかかるのも10年ぶりとか。でも、あなたは一つの命だし、残された子どもは大変。胸を触ることは誰にでもできるし、自分で見つけられるがんなんだから、自分に意識を向けてねって。6割は自分のため、4割は啓発活動。盛大なSOSだったんです。『助けてください』って」
術前の抗がん剤治療を受けていた半年間、髙橋さんは「しこり触ってキャンペーン」と名づけて、スキンヘッドの姿のまま、しこりを触ってもらうお話会を開きました。講演の経験もないまま始めたその場には、半年のあいだに多くの人が参加してくれたといいます。今も「あのとき触らせてもらったから」と連絡が来たり、検診に行ってがんが見つかった人や、母親に勧めて見つかった人もいたりするそうです。
「強くは触らないでね」とは、必ず伝えていたといいます。そして、乳がん検診の会場などに置いてある触診用の模型と、本物の胸の感触はまったく違うこと、触れた人は、その感覚をずっと覚えていることにも気づきました。
「その期間、誰かの役に立ってるって思えたことがすごく大きかったし、みんな助けてくれてるんだなって腹落ちしたんです。ずっと『ちゃんとしなきゃ』を握りしめて生きてきたけど、そこで初めて、手放せるようになってきた。どんなに噛んでも、伝えたいっていう熱量だけで話す。助けてって言ったら、こんなにも助けてくれる人がいるんだって」
自分の乳房を知る「ブレスト・アウェアネス」
- ふだんから自分の乳房の状態を知り、変化に気をつける生活習慣を「ブレスト・アウェアネス」といいます。入浴や着替えのときに、見て・触って、いつもの状態を知っておきましょう
- しこり、皮膚のへこみやひきつれ、乳頭からの分泌物などの変化に気づいたら、次の検診を待たずに乳腺外科などを受診しましょう
- あわせて、40歳以上は2年に1回の乳がん検診(マンモグラフィ)を受けることが推奨されています
治療——標準治療を、やれるだけやる
治療は、義理のお母さんがかかっていた大学病院で受けることにしました。乳がんには診療ガイドラインがあり、標準治療は臨床試験を経て、多くの人に効果が期待できると確かめられた治療であること。そうしたことを知り、迷わずに治療に入ったといいます。
診断の時点で、脇のリンパ節には2つの転移があり、そのうち1つは、手で触れてもわかるほどのしこりになっていました。がんが進んでいたため、まずは半年間、手術の前に抗がん剤治療を行いました。種類の異なる抗がん剤をそれぞれ4クールずつ、ホルモン療法も組み合わせたフルコースです。その後、乳房を全摘する手術を受けましたが、術後、脇のリンパ節の転移が増えていることがわかりました。全摘手術のため、放射線治療はもともと受けることが決まっており、放射線治療も受けました。さらにホルモン療法を続けながら、2年間、飲み薬の抗がん剤も服用しました。
「やるだけのことはやるって、自分で決めていましたし。体調が本当にしんどかったら、やめていたかもしれないけど、ギリギリ耐えられる段階だったので。やれることはやろうと思って、しっかりやりました」
ホルモン療法は、途中で骨密度の低下などから薬を切り替えながら、約10年にわたって続けました。
「生きるを伝える写真展」へ
しこり触ってキャンペーンをきっかけに、髙橋さんの活動はさらに広がっていきます。2018年には、がん経験者や脱毛症の当事者がモデルとなる「生きるを伝える写真展」を福井で開催。クラウドファンディングで240万円の支援を集め、今も全国を巡回しています。
「自分がやりたいと思ったことをやってみたら、自分も気持ちがいいし、周りも『元気をもらえました』っていう方が出てきて。そこからまた行動が変わって、各地で新しい変化が起こるようになってきた。1回目のがんは、私にとってすごく大きな転機になっています」
10年目の転移——「またあれをやらなきゃいけないのか」
治療がひととおり終わったあと、髙橋さんは大学病院から地元の乳腺クリニックへ通院先を移していました。そして2025年、1年ぶりに受けた血液検査で、腫瘍マーカーが大きく上がっていることがわかります。大学病院に戻って検査を受けると、肝臓に7センチほどの腫瘍と、2センチほどの腫瘍がいくつも見つかりました。見つかった時点で、肝臓の6割ほどががんだったといいます。
「点滴の抗がん剤をやった身からすると、再告知を受けたときは、またあれをやらなきゃいけないのかって。ヨガスタジオを経営して9年目に入るんですけど、歯を食いしばってここまで仕上げてきたのに、なんで60代、70代の人が考えるような、閉めなきゃいけないとか、考えなきゃいけないんだろうって。ボロボロ泣いていました」
今の治療は、飲み薬です。1つ目の薬がよく効き、7センチあった腫瘍は半分ほどの大きさに。次の薬は、11年前に手術で取り出したがんの組織を遺伝子検査で調べたことで、使えることがわかったものでした。現在はやや縮小しているというデータも出ていて、肝臓に占めるがんの割合は5割ほどになっています。
「がんの治療って、本当に進んでいるんだなと思いました。私はありのままをちゃんと見たうえで進みたいタイプなので、薬のデータもいろいろ見ています。どこまで行けるかわからないけど、『どこまで行けるかゲーム』をこれからもやっていこうかなって。副作用があっても日常を過ごせるのは、本当にありがたいです」
それでも、今の薬が効かなくなったら、次は点滴の薬になる見込みです。使ったことのない薬は副作用が読めない。講演の依頼も、受けていいのか悩みながら引き受けているといいます。
乳がんの転移・再発と、がん遺伝子の検査
- 乳がんは、治療を終えて5年、10年とたってから再発や転移が見つかることがあります。特にホルモン受容体陽性の乳がんでは、長い期間をおいて再発することもあるため、治療後の通院や検査の受け方は担当医とよく相談しましょう
- ほかの臓器への転移がある場合は、薬物療法が治療の中心になります。がんの性質(サブタイプ)や体の状態に合わせて薬を選び、効果や副作用を見ながら切り替えていきます
- がんの組織の遺伝子を調べる検査によって、使える薬が見つかることがあります。検査の対象となる条件や時期は、担当医に確認しましょう
視野を広く持ち、「ここまで」を自分で決める
治療については、「視野を広く持つことが大事」と髙橋さんは話します。さまざまな治療法の情報があるなかで、自分の検査の数値を自分で見て、俯瞰して決められるようにしていくこと。それが患者にとって大切だと考えているそうです。
「個人の幸せと、家族の幸せと、社会的な幸せって、ちょっと違うと思っていて。諦めているわけではないんです。でも、私の幸せと家族の幸せをうまくすり合わせながらやっていけたら、それでいいのかなって。生きるにはお金も大事ですし。14歳から30年、自分と向き合って、幸せってなんだろうって考えてきた末に、『ここまで』を自分で決めることも大事だと思うようになりました」
自分の「取扱説明書」を知る
不安な気持ちは、どうしても自分の中で大きくなっていくもの。髙橋さんは、ヨガで身につけた「呼吸」を手がかりに、できるだけ俯瞰することを心がけているといいます。
「『ないない』に意識が向いちゃうのは、脳の構造上しかたがないんです。でも、そう考えている自分に気づいたら、一回距離をとって、まだできることを見つける。それでも不安から抜けられないときは、底まで落ちるようにしています。何回も繰り返していると、飽きてくるんですよね。また同じことやってるなって、自分に突っ込み始めたら、あとは上がるだけ。自分の取扱説明書がわかってくると、それを繰り返して整えていくだけなんです」
自分でコントロールできることは、たかが知れている。だからこそ、今日食べるもの、一緒に過ごす人など、自分で選べることに意識を戻す。しんどいときは、心の中の「ギャルマインド」を出して「いける!」と言いながら乗り切ることもあるそうです。
心のつらさも、相談していい
- がんの診断や再発・転移を告げられたときは、気持ちが大きく揺れるのは自然なことです。眠れない、何も楽しめないといった状態が続くときは、担当医や看護師に伝えましょう。心のケアの専門家につないでもらえることもあります
- これまでに心の不調で治療を受けたことがある場合も、そのことを医療者に伝えておくと、必要な支えを受けやすくなります
- 全国のがん診療連携拠点病院などにある「がん相談支援センター」では、患者さんや家族が無料で相談できます
がん教育——「なっても大丈夫だよ」と言える存在に
髙橋さんは今、学校などで、がん教育や命の授業を続けています。講演先は全国200か所以上にのぼります。がん教育には、自分の体を大切にすることと、がんになった人への偏見をなくすことの2つの柱があります。そこに髙橋さんは、不登校を経験した自分だからこそ伝えられることを重ねています。
「心を病んだときとか、自分ではどうにもならないピンチに、どう対処して、心をどうコントロールしていくのか。生きることに一番必要なのは、安心だと思うんです。『ならないようにね』っていう言い方は、私は無理だと思っていて。考えてもわからないことにエネルギーを使っても、命もエネルギーも有限なので。なっても大丈夫だよ、じゃあ一緒に楽しもうって、そういう存在でいられたらいいなと思っています」
ランウェイ「SPOTLIGHT」へ
「人の役に立ちたい」という社会的な自分を「A面」とするなら、心が苦しいときほど何かを表現したくなる「B面」の自分もいる、と髙橋さんは話します。1回目のがんのときは、スキンヘッドで、片方の胸もない自分を、友人の日本画家とのライブアートパフォーマンスで表現しました。
「この状態は女性なのかって思ったときに、それでも自分のことを愛したいし、女性でもあるって認めたい、認めてもらいたいっていう気持ちがあって。そこで、やっと気が済んだんです。今振り返っても、あのときのパフォーマンスは最高点だったと思います」
2回目の告知は、髙橋さんにとってとても大きな出来事でした。何か作品を作りたいと思っても、動くと気持ちが悪くなってしまう。そんなとき、母親が習っている社交ダンスの発表会を見に行きました。
「80代、最高で90代の方まで、きれいな格好をして、ちゃんと踊っていらっしゃるんです。上手い下手は置いておいて、自分のためにちゃんと着飾って、ライトを浴びて、すごく素敵だなって。私もやってみたいなって、諦めの悪い自分が出てきちゃって」
ちょうどそのころ、主催のえりこさんから出演の声がかかりました。一度は断ったものの、「歩くだけなら、いけるかもしれない」と思い直したといいます。今のエネルギーを発散し、形にするために、髙橋さんはランウェイを歩きます。
生き様を魅せるランウェイ「SPOTLIGHT」
- 日時:2026年11月13日(金)開場13:30/開演14:00
- 会場:大阪市中央公会堂
チケットなどの最新情報は、SPOTLIGHT公式サイトをご確認ください。→ IROHAのSPOTLIGHT紹介ページ
まだがんに直面していないあなたへ
「不安になるのは当たり前だし、怖いもつらいも逃げたいも、一緒に抱きしめるから。手を取り合って、進んでいきましょう」
「確実なことって、何一つないと思うんです。だから『絶対大丈夫』とは、なかなか伝えられない。でも、思いを分けっこしながら一緒に進んでいくことはできる。私を必要としてくださる方がいるなら、なったからこそ楽しもう、ぐらいの感じで、一緒に進んでいけたらいいなと思います」
髙橋さんの発信・活動
髙橋さんのInstagramでは、「マイナスも楽しむ わたしを生きる」の言葉とともに、ヨガ、講演、がん教育・命の授業、そして治療をしながら人生を楽しむ日々が発信されています。
- Instagram(@ema.takahashi)——ヨガ・講演・がん教育、治療をしながら人生を楽しむ日々
- 福井テレビ『ママは乳がん〜若年性患者たちの今〜』FNSドキュメンタリー(YouTube)
- 「生きるを伝える写真展」クラウドファンディング(READYFOR)
- soar インタビュー記事(外部サイト)
- 「誰かの光になれるなら。」インタビュー記事(外部サイト)
- ランウェイ「SPOTLIGHT」公式サイト
IROHAから読者へのメッセージ
- 妊娠中・授乳中でも、しこりや血の混じった分泌物などの変化が続くときは、乳腺外科などで相談する
- ふだんから自分の乳房を見て・触って、いつもの状態を知っておく
- 治療を終えたあとも、通院や検査の受け方を担当医とよく相談する
- 心のつらさは我慢せず、医療者や「がん相談支援センター」に伝える
IROHAは、特定の治療法や医療機関を推奨・保証する立場ではありません。一人ひとりが必要な情報を知り、納得して選べるよう、体験談や情報を届けていきます。
「がんの情報」の出典:国立がん研究センター がん情報サービス「乳がん」「乳がん 治療」「乳がん検診」「がんゲノム医療とがん遺伝子検査」「がん相談支援センターで相談できること」(情報確認日:2026年10月14日)
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