乳がんの情報がまだほとんど手に入らなかった約20年前、40代前半でトリプルネガティブ乳がんと診断された篠原 晃子さん。手術と抗がん剤治療を乗り越えたあと、同じ病気の人の心に寄り添うピアサポーターとして、18年にわたって活動を続けてきました。
「自分の体にフォーカスすることって、すごく大切だと思うんです。自分を大切にするからこそ、他人を大切にできるし、思いやることもできるので」
乳房を失い、「女として私はもう終わった」と思っていた日々。そこから出会ったウォーキングが、篠原さんを再び前へと歩かせます。2026年11月、ランウェイ「SPOTLIGHT」にCHALLENGER #4として出場する篠原さんに、これまでの歩みと、今伝えたいことを伺いました。
- 篠原 晃子さん/63歳。千葉県在住
- 2006年頃、40代前半でトリプルネガティブ乳がん(しこりは約2.1cm)と診断。右乳房の全摘手術を受け、術後に抗がん剤治療を行った
- キャンサーネットジャパン認定の「乳がん体験者コーディネーター(BEC)」として、約18年、患者さんや家族の心のサポートをボランティアで続けている
- ウォーキング講師として、同世代から70〜80代まで、年齢や体型に関係なく「美しい姿勢で、自分の足で歩く」ためのレッスンを行っている
- 2026年11月13日、ランウェイ「SPOTLIGHT」に出場(CHALLENGER #4)
発症前——どこか他人事だった、がんのこと
篠原さんのお父さまは、肝臓がんで亡くなっています。ただ、篠原さんがまだ小さかった頃のことで、記憶はほとんどありません。がんを身近に感じたことはなく、「どこか他人事だった」といいます。
当時は正職員として働きながら、小中学生の息子さんを育てていました。これからかかる教育資金のことを考えて貯蓄に励む一方、家庭のことで長くストレスを抱えていた時期でもあったそうです。
発見——テレビをきっかけに、お風呂で触ってみた
きっかけは、家庭の医学を扱うテレビ番組でした。乳がんは自分で触って見つけることができる——。そう知って、ふとお風呂で胸を触ってみると、硬いしこりがありました。
「自分で見つけたんです。乳がんについて全く知識がなかったので、良性か悪性かは自分では判断できなくて。希望的観測で、ただの乳腺炎で終わるよなって思いながら病院に行きました」
翌日、女性ばかりの職場で話すと、「一度も乳がん検診に行ったことがないなら、一回行ってみたら」と勧められます。実はそれまで、篠原さんも同僚の誰も、乳がん検診を受けたことがありませんでした。近所にあった乳腺外科のクリニックを予約し、しこりに気づいてから2週間もたたないうちに受診しました。
マンモグラフィの画像を見た医師は、「この形はちょっと」と言いました。組織の検査を受け、10日後に告げられたのは乳がんでした。
「告知された時は、なんで私が、っていう感じでしたね」
乳房の変化に気づくために
- 乳がんは、自分で乳房の変化に気づける可能性があるがんです。日頃から自分の乳房の状態を知り、変化に気づいたら早めに受診することが大切です
- 閉経前の方は、乳房の張りが落ち着く月経(生理)が終わった後が、変化に気づきやすい時期とされています
- 自分で確かめることに加えて、自治体などが行う乳がん検診も定期的に受けましょう
くわしくは「「検診」と「気になる症状」は別もの。乳房の変化に気づいたら」をご覧ください。
治療——トリプルネガティブ乳がんと、自分で選んだ抗がん剤
しこりは乳房のほぼ真ん中にあり、クリニックでは「全摘になるかもしれない」と説明を受けました。手術ができる大きな病院を探すと、ある病院では初診まで3か月待ち。「そんなことしてたら死んじゃう」と、すぐに予約が取れた都内の大学病院を選び、3月の告知から2か月後の5月に、右乳房の全摘手術を受けました。
手術で取り出した腫瘍は約2.1cm。タイプは、ホルモン受容体とHER2がいずれも陰性の「トリプルネガティブ乳がん」でした。当時は「予後がいちばん悪い乳がん」と言われ、治療法も抗がん剤しかなかったといいます。
腫瘍の大きさから、抗がん剤は「やってもやらなくてもいい」という微妙なところでした。担当医は、抗がん剤をするかどうか、するならどの薬にするかを、篠原さんに選ばせたといいます。
「先生だったらどうします?って聞いたら、それは僕からは言えないよって。面白い先生でした。でも、できる範囲のベストは尽くしたかったので、脱毛する強めの抗がん剤を使ってくださいって言いました。相性のいい先生だったと思います」
トリプルネガティブ乳がんとは
- 乳がんは、ホルモン受容体やHER2の有無などによって性質(サブタイプ)が分けられ、それによって効果が期待できる薬が変わります
- ホルモン受容体もHER2も陰性の「トリプルネガティブ乳がん」には、ホルモン療法や抗HER2薬の効果は期待できないため、細胞障害性抗がん薬による治療が中心になります
- 篠原さんが治療を受けた約20年前と比べて、現在は治療の選択肢が増えています。がんの状態に合った治療について、担当医とよく相談しましょう
副作用と仕事——吐き気は抑えられたけれど、歯に出た
抗がん剤は3週間おきに6回。6月に始まり、冬になる前まで続きました。嘔吐恐怖症だった篠原さんは、担当医に「吐き気止めをいっぱい出してほしい」と伝えたといいます。処方された吐き気止めを朝起きてすぐに飲むようにしたところ、ムカムカすることはあっても、吐くほどつらくなることはありませんでした。
一方で、思わぬところに副作用が出ました。
「歯茎が浮いてしまって、歯がすごくグラグラになって。結局、歯は本当にダメになっちゃいました。自分のいちばん弱いところに出た気がします」
仕事は、告知を受けたあとに同じ職場で正社員からパートに切り替えてもらいました。抗がん剤の点滴を受けたあとの1週間は休み、次の治療までは普段どおり出勤。職場が柔軟に対応してくれたことに助けられたといいます。
吐き気や口の中のトラブルは、早めに相談を
- 抗がん剤による吐き気や嘔吐は、吐き気止めなどの薬で予防・軽減できることが多くなっています。不安なことは遠慮せずに伝え、薬の飲み方は担当医や薬剤師の指示に従いましょう
- 抗がん剤治療中は、口内炎や歯茎の炎症など、口の中のトラブルが起こりやすくなります。治療前に歯科を受診し、治療中も口の中のケアを続けることが勧められています
- 副作用を和らげる「支持療法」もあります。→「支持療法とは?副作用を「がまん」しないための基本と対処法」
転機——「乳がん体験者コーディネーター」として、誰かの話を聞く側に
2006年頃、パソコンで乳がんを調べても、信頼できる情報はほとんど見つかりませんでした。頼りは本。藁にもすがる思いで患者会にも足を運びましたが、自分には合わなかったといいます。乳がんについて何も知らなかったこと、相談できる人がいないこと。それがいちばん精神的につらい時期でした。
「周りはすごく心配してくれるんですけど、頭の片隅で『だってあなた乳がんじゃないじゃない』って思ってしまう自分がいたんです。そう思ってしまう自分が、家族や友人に申し訳なくて。でも、誰にも言えない、相談できないっていうのは、きっと私だけじゃないなって」
そんなとき、ニュースで「乳がん体験者コーディネーター」の特集を目にします。「これだ」と思い、NPO法人キャンサーネットジャパンの養成講座を受けて資格を取得。乳がんの正しい知識を学び、同じ病気の仲間とつながりました。
それから約18年。ボランティアとして、乳がんの患者さんやその家族、友人から、何百件もの相談を受けてきました。医療者ではないため、病院や治療についての助言はせず、自身の体験をもとに、ひたすら話を聞いて気持ちに寄り添うのが役割です。
「『それってあるあるだよね』って、体験しているからこそ言える。そういうサポートを少しずつしていくことで、乳がんになったことで私にも役に立てることがあるんだなって思えたんです」
支える家族へ——言葉はいらない。手を握るだけでいい
相談の約1割は、家族からのものだといいます。妻が乳がんになり、どう接していいかわからない夫。篠原さん自身の夫もそうだったそうです。そんな人たちに、篠原さんはいつもこう伝えてきました。
「病気を受け入れるまでは、攻撃的になったり、すごく落ち込んだりすることがあります。そういうときは、何も言わなくていいんです。黙って手を握る、肩を抱く、ハグをする。それだけで十分、気持ちは伝わります。放っておくのとは違うんですよ」
「そして、こうしてほしいって言ってきたら、それに真摯に応えてあげてください。何かを明確に言えるようになったのは、一歩前進した証拠。そこをすごく褒めてあげてほしいんです」
患者さんも家族も、相談していい
- 全国のがん診療連携拠点病院などにある「がん相談支援センター」では、患者さんだけでなく、家族や身近な人も無料で相談できます
- 同じ病気を経験した人と話す「ピアサポート」や患者サロンを設けている病院や団体もあります。自分に合う場を探してみてください
関連記事:「がんと心のケア」
20年たっても消えない再発の不安と、「すぐ病院へ」
食生活を見直すなど、できることには気をつけてきました。それでも、どこかが痛むたびに「再発かもしれない」と夢中で調べてしまう。その気持ちは、20年たった今も変わらないといいます。
変わったのは、行動です。以前なら具合が悪くても先延ばしにしていたのが、今は何かあればすぐに受診するように。マンモグラフィも年に1回、欠かさず受けています。「夫には、お前がいちばん長生きするって言われてます」と笑います。
ランウェイ「SPOTLIGHT」へ——ウォーキングが、生きる力になった
右乳房の全摘と脱毛。40代前半だった篠原さんにとって、容姿の変化はいちばんつらいことでした。
「鏡を見るのも嫌でした。もう女として私は終わったんだなって。でも、命が助かったんだからいいじゃない、わがまま言っちゃいけないよって、自分に言い聞かせて生きていたんです」
転機は、それから何十年もたって訪れます。友人が出場したミセスコンテストを応援に行くと、50代、60代の女性たちがドレスを着て、キラキラと輝きながらランウェイを歩いていました。「年齢に関係なく、女性はいつまでも輝ける」。そう感じた篠原さんはウォーキングを習い始め、すっかり夢中に。やがてウォーキング講師になる夢も叶えました。
生徒の中には、抗がん剤治療中でウィッグをつけた乳がんの患者さんもいました。その人たちから、思いがけない言葉をかけられます。
「再発したらどうしよう、転移したらどうしようって不安だけど、あなたが20年生きてきて、ウォーキングの先生にもなっている姿を見て、生きる希望が持てたって言ってくださったんです。私が歩くことで、誰かの希望や光になれるんじゃないかって思いました」
ちょうどその頃、SPOTLIGHTの主催者から声がかかりました。千葉から大阪まで、練習にも頑張って通っています。
「私は63歳で、背も低いし、スタイルがいいわけでもない。でも、だからこそ教えられるウォーキングがあると思っているんです。年齢や体型に関係なく、美しい姿勢で美しく歩く。いつまでも自分の足で歩けるって、すごく生きる力になるんですよ」
篠原さんは、乳がんサバイバーの仲間と一緒に歩くバランスウォーキングのレッスンや、ウォーキングのイベントにも取り組んでいます。
生き様を魅せるランウェイ「SPOTLIGHT」
- 日時:2026年11月13日(金)開場13:30/開演14:00
- 会場:大阪市中央公会堂
チケットなどの最新情報は、SPOTLIGHT公式サイトをご確認ください。→ IROHAのSPOTLIGHT紹介ページ
まだがんに直面していないあなたへ
「乳がんは、気をつけていれば自分で見つけられるがんだと思うんです。生理が終わった後に、お風呂で石けんを泡立てて、右と左の胸を優しく触ってみてください。毎月何日と決めなくても、生理の後と思えば続けやすいはずです。マンモグラフィは確かに痛いけど、私も今も年に1回、必ず行っています」
「家族も大事だけど、まず月に1回でいいから自分の体にフォーカスして、何か変化があればすぐ病院に行ってください。自分を後回しにするのが美徳みたいなところもあるけれど、まず自分を大好きになって、自分を大切にしてほしい。それがいちばん言いたいことです」
篠原さんの発信——Instagram・公式LINE
- Instagram(@akikos_catwalk)——ウォーキングのレッスンやイベントの情報を発信
- 公式LINE——ウォーキングレッスンのお問い合わせ・お知らせ
- NPO法人キャンサーネットジャパン——乳がん体験者コーディネーター(BEC)の認定団体
- ランウェイ「SPOTLIGHT」公式サイト
IROHAから読者へのメッセージ
情報も相談相手もなかった時代に乳がんと向き合った篠原さんは、その孤独を知っているからこそ、20年近く誰かの話に耳を傾けてきました。そして今、歩く姿そのものが、治療中の誰かの希望になっています。
- 月に1回、自分の乳房を確かめる。気になる変化があれば、次の検診を待たずに受診する
- 乳がん検診を定期的に受ける
- 副作用への不安は遠慮せず担当医に伝え、口の中のケアなども早めに相談する
- 患者さんも家族も、つらいときはがん相談支援センターやピアサポートを頼る
IROHAは、特定の治療法や医療機関を推奨・保証する立場ではありません。一人ひとりが必要な情報を知り、納得して選べるよう、体験談や情報を届けていきます。
「がんの情報」の出典:国立がん研究センター がん情報サービス「乳がん」「乳がん 治療」「薬物療法」「がん相談支援センターで相談できること」(情報確認日:2026年10月7日)
この体験について、さらに深く知る
体験談から情報の整理、そして相談へ。3つのステップでつながります。